見田方遺跡
由来・歴史 昭和42年、舟が沈んでいるなどとの伝説があった見田方耕地(現 大成町)に発掘調査が行われた。その結果、およそ古墳時代より古代にかけてと推定される縦穴式住居跡が確認され、数多くの土器や祭器などが出土した。

その主な遺跡物は、完全なる住居跡2棟、不明瞭なるもの数棟、土器、石器、さらに木器、用材等の湿地帯特有の遺跡も発掘された。発掘地の地名をとって見田方遺跡と名づけられた。出土品の土器(鬼高式土師器)などから、この遺跡が古墳後期(6〜7世紀)の遺構であることが確認された。

発掘地は、現在水田として利用されているが、隣接地に発掘を記念して見田方遺跡公園が整備され、園内の郷土資料収納館には土器片などが保存されている。復元された土師器、須恵器などは市立図書館(越谷市東越谷4-9-1)の2階ロビーに展示されている。
中村家付表門 東方村の中村家は、代々忍藩東方村の名主を勤めた旧家である。安永元年(1772)に建造され、部分的に改造されている。江戸時代の建築様式をよくとどめている。式台付の玄関や書院造りに似た客間など村役人層の住宅様式を示し、屋根は茅葺きで寄せ棟づくり、玄関の屋根は入母屋づくり、表門は瓦葺きで切り妻をもつ両袖の薬医門である。昭和49年に移築され市民に公開された。

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